2007年07月04日
友人との衝突
担当:こうたろ
今年に入ってから、例年に比べると人と衝突している回数が多い。これは物理的な衝突ではなく、意見なり、気持ちなりの衝突のことである。
原因の1つは自分にあると思うが、非は自分だけに無い(または自分には無い)というものが多い。自分だけが原因であれば素直に謝罪する。もう良い大人だし、つまらない事はいつまでも引き摺らない。それが人間関係を円満・円滑にする方策だと、これまで思って歩んで来た。
しかし、譲れないことやあまりに自分勝手な物言いには、これは当てはまらない。
以前はこれらの発言に関しても自分の中に入れて消化する努力をして来たが、最近は敢えて噛み付く様にした。それは、ちゃんと「嫌なものは嫌だ」ということを周囲に分かってもらうためだ。
今年に入って衝突している回数が多い友人が居る。もう10年来の付き合いで、ある程度どんな人間か分かっているつもりだった。親友と言えるものかもしれない。しかし、馴れ合いすぎたのか、相手側の心無い物言いが最近目立って来たと感じる様になった。
1回目はあまりに勝手な物言いと譲れない領域に土足で踏み込んできたから怒った。酒の席であったとは言え、こういう時こそ本心が垣間見えるというものであり、少なからず自分の心にしこりを残した。
2回目は表層的な気遣いとは裏腹に、ある種勝手な物言いに物凄く腹が立ったから怒った。気遣っている様な発言に含まれている内容は、寧ろ全然気遣っていない。「どんな偽善者だよ」と思った。別に気遣って欲しかった訳ではないのだが、私が自分自身の意思でそこに参加し、自分のなりの楽しみ方をしている中で気持ちを逆撫でされた。これは1回目の時よりも、怒りが大きかった。アルコールが入っていない席でのことなので、余計にそう感じた(アルコールが入っていれば何でも許される訳ではないが)。
「親友」という言葉がある。
知人、友人(友達)、親友。それぞれレベルの差はあっても、第三者から見れば同じに見える。そのレベルを判断出来るのは当人同士か近しい人であろう。私自身、知人は「知っているだけ」、友人は「交流のある人」、親友は「表層的だけでなく内面的にも理解し合っている人」という感覚で分けている。その認識は然程世間一般の認識から外れてはいないだろう。
そこで改めて考えてみる。
私はとても仲の良い友人は居ても「親友」と言える人はどれほど居るだろうか…と。
衝突している友人は私の事を「親友」と称したことがある。しかしながら、今回の発言は「親友と言う奴が発する言葉ではない」と思わせてしまうものであった。
急速に冷めた。
普段やり取りしていた掲示板も一切見なくなった。
これで疎遠になって、このまま会わなくてもいいや。そう思った。親友から知人への格下げとも言える状況である。
これが一時の感情なのかどうかは、距離を置いて確かめてみようと思う。
「ほとぼりが冷めるまで」という距離の置き方ではなく、「本当に必要とするか否か」という距離の置き方である。
先ずは半年くらい、距離を置いてみようかな…。
何の因果か、昨年「10周年」と称して当時の仲間と同窓会的なことをやった日と同じ日に起きた出来事。ある意味、丁度良い機会なのかもしれない。
今日は、そんなお話。
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